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著書「チェンジ・マネー」 まえがきより抜粋しています。




チェンジ・マネーという生き方へ

                                          はせくらみゆき

 私は普段、生きる喜びをアートや書籍の執筆などで描き、活動している一アーティストです。実は、経済には全くうとく、いまだ帳簿の見方もよくわかりません。
 そんな私が、経営のプロである舩井勝仁氏と共著で本を出させていただくことになろうとは、お話をいただくまで、全く予想だにしなかったことでした。
けれども、誰もが皆、心の底に漠としたものを抱え、今後の日本や世界、地球がどうなってしまうのかという不安を抱えている今だからこそ、あえてこの対極に位置しているであろう二人がタグマッチを組んで見えてくる世界を、共に分かち合いたいと思うようになりました。
 この本は、単なる経済本でも、また、今までの私の得意分野とされているヒーリング本でもありません。
ここに提示されているのは、人が生まれた瞬間から向かい合わなくてはいけない「お金」と人との関係性であり、日本の現状や現実をしっかりと見据えながら、お金の本質と向かい合い方について、パラダイムシフトを起こしませんかという提案です。

お金というエネルギーは、とてもパワフルで、魅惑的で、人を夢中にさせるツールです。それによって、欲しいものを手にすることができる打ち出の小槌のような側面も持っている代わりに、いとも簡単に支配・征服され、その呪縛から逃れられなくなってしまう要素も多分に持っています。
ほとんどの人にとっては、お金とは、なかなか我が意のままになってくれない「恐ろしいもの」であり、不安と恐怖の源泉となる悩みの種なのではないかと思います。

かつての私もそうでした。
幼いころから、「お金がないと何にもできない。愛だなんだかんだといったって、やはり人生ははお金が一番大切なのよ」―そう親から諭されて大きくなりました。
周りを見渡してもそのようだったので、私は疑うことなくその考えを信じ、今まで生きてきました。

けれども、あるきっかけを境に、私はその考えをきっぱり捨てました。それは、今から11年前に脳卒中になり、半身不随から奇跡的に完治してしまった経験があってからです。その時に、しみじみと、人生における大切なものは「いのち」であり、いのちあってこその物質的な豊かさ、精神的豊かさが享受できるのだと思いました。
実際は、その後、数年にわたる気づきを通して、現在の考え方―心の豊かさと、物質的な豊かさは比例する―ことを‘知った’のですが、本書で論じる前に、私自身のものの見方の基軸となっている世界観について、最初にお伝えしておこうと思います。

冒頭で、「私はアーティストです」とお伝えしましたが、正確にいうと、そんな名称は、今生で獲得したオプションにすぎず、本当は、我という人間を演じている、内側の‘いのち’が自分であると捉えています。
つまり、私というのは、肉体でも感情でもなく、また、起こる出来事でもなく、我の肉体と感情を通して、そこで展開される出来事とまわりを観察している、いのちそのものである、という認識です。

いのちが本体で、カラダやココロ、出来事は皆、観察対象のもの。

決して、私=カラダ、私=ココロ(感情や思考)、私=出来事(人生)として捉えているわけではないので、実際のところ、ほどんどストレスがありません。
こんなこというと、たいていは無理しているのではないかと思われてしまうのですが、本当にそうなのです。…というか、気になるものがあまりないというのでしょうかね。
けれどももし、私=カラダだと見なして、私と身体を同一化してしまったら、急に年を取ることが怖くなるかもしれないでしょうし、私=ココロだったら、感情そのものに右往左往されて、自己否定などしはじめるかもしれません。
また、私=出来事で、出来事を私物化してしまったら、「私の人生」と称して、人生における出来事をいちいち判断したり、優劣を下したりして、辛い思いをするのかもしれません。
でも、残念ながら(?)、その幻想にはひっかかりません。なぜなら、私とは内側に存在する「いのち」だから。さまざまなものを観察し、味わい、面白がっているいのちの旅の最中にいて、それらは皆きっとさらによくなることにつながっていると思っているため、やはりあまり気にならないのです。

別な言葉にたとえると、パソコンが肉体で、キーボードについているファンクションキーが性別や人種、職業といったもののように思えます。
そのキーボードに、様々な出来事や感情が打ち込まれていって、記憶にメモリーされ、人生というプリントアウトが出来上がっていくという感じでしょうか。
でも、一番大切なのは、パソコンがちゃんと起動してくれるかということ。
この、電源プラグに相当するのが「いのち」になるんですね。
なぜこのように偉そうに言えるのかというと、そうだよと「いのち」が語るからなのです。

どうやって?

それが直観です。

直観とは、別名、いのち・真我・大我・魂・神性・仏性・真心…ともいい、ユングの云う集合的無意識の深奥から直接汲み出された、内在の叡智のことをさします。
とてもパワフルで深遠な領域で、人類のみならず、あらゆる時空間の情報も蓄えている、聖なる智慧の宝庫です。
意識の三層構造(顕在意識、潜在意識、超意識)で例えるなら、直観が司るのは、超意識との連携であり、そこから表面の意識(自分が自分であると認識する顕在意識)へじかに送られるダイレクトメールのようなものだと思って構いません。
本当は誰もが皆、直観を持っていて、直接、魂の深みから様々な叡智が届くようになっているのですが、文化的、社会的規範など、様々な制約を受け、多くの人は、本来持っていた直感スイッチを閉じる方向で生きることを選択するようになるのです。

私の場合は、たまたま、この直観スイッチが切れなかったようで…、幼いころから、ずっと自分の内側とお話をして大きくなりました。
物心ついたときから、本当の自分は、内側にいる自分で、外側にいていろんなことを感じて、行動したりするのは、本当の自分を包んでいる入れ物(器)だと思って生きてきました。
そんな眼であらゆるものを眺めてみると、すべてが振動し、音や色、光を放っていることがわかります。それは動物や植物だけではなく、モノやヒトや、雲までも同じです。
さらに、想いをあわせることで、それらの存在とおしゃべりができるというのでしょうか、直接、心の奥にポーンと閃き(想いのかたまり)がやってきて、対象物とハートによるコミュニケーションが可能になっていくのです。

 同時に、心を澄ませて自らの奥と共振すればするほど、個々に分かれた「自分」だけではなく、自己の境界線があいまいになり、私たち、あるいは人類、そして宇宙までもが拡大された自己の一部であるという感覚になり、それにともない、決して「私」ではわかることのない様々な知識や智慧といったものが「閃き」を通してやってくることがわかったのです。
 けれども、このことは大きくなるまで誰にも言えない秘密でした。
言うことで、変な子、変な人といわれるのが嫌だったからです。
そんな私でしたが、やがて結婚し、子どもを産んだあと、転機が訪れました。二人目の子どもを産んだ後、いわゆる神秘体験というような不可思議な現象が、度重なり起こるようになったのです。
そうして、いよいよ逃げられない状況まで来た後で、覚悟を決め、今後は、直観の導きのままに、素直に従い、生きていくことを決めたのでした。その途端、人生のステージがガラリと変わってしまったのです。

具体的には、かつてのほんかわとした存在物コミュニケーションの世界から、自然界の法則、内在秩序、宇宙のしくみといった、科学的で哲学的な内容パッケージが、内側から泉のごとく溢れてくるようになりました。
二十数年前から、私はそれを子育ての合間の時間を縫って数十冊のノートにまとめ、時間を見つけては、本当にそれが正しいのかどうかを検証し続ける作業を続けました。
けれども、途中まではわかっても、あるところからは、どの論文にも載っておらず、最終的な検証まで至らないものが数多くありました。

存在物とのハートによるコミュニケーションも続けられました。私はそれらのメッセージ、とりわけ植物や大地が語る深遠なメッセージを、絵と言葉で、日々、書き留めるという作業が続きました。
余談になりますが、これらのメッセージの一部を我が子に送る誕生日プレゼントとして、一冊の手作り絵本にしたためたものが、偶然、舩井幸雄氏の手元に渡ったことがきっかけとなって、私は画家&作家としてデビューすることになったのでした。
今でも、初めてのお電話―「経営コンサルタントの舩井と申します…中略…質問なのですが、もしかして、あなたは、存在物とのコミュニケーションをとっていいて、それをそのまま言葉にされているのではないですか?」とおっしゃった日のことが懐かしく思い出されます。

さて、人知れず始まってしまった直観からの時空間情報ですが、学べば学ぶほど、驚きと感動に満ちていることがわかりました。何より、私たちは、まだほとんど何もわかっていないのだということがわかったのです。
つまり、見える宇宙というのは、全宇宙のごくごくわずかであり、その中でも私たちが扱っている電磁波スペクトルの世界は、さらに狭義の領域であったこと。
また、現象として現れる世界の奥にある、潜象世界(潜在的時空)に大きなパワーが託されており、本当は、潜象が実相で、現象がその写しのホログラムであるということ。
そして、科学的でないものは非科学やオカルトといった一言で片づけられるものではなく、実際は、未科学といった、まだまだ私たちが解明できていないことのほうがはるかに多いのだということです。
ここを紐解く鍵が、「直観」であり、意識なのだということです。

 振り返って、私たち人類の歴史をみてみると、現代へと繋がる文明は今から約一年前に発祥していることがわかります。 その後、約八千年前の農業革命、二百年前の産業革命、そして僅か二十年前にわたる情報革命を経て、私たちは次なる革命が静かに進行中なのです。
それが直観の時代―意識の革命であり、支配と制限、分離と恐れに基づいた低振動高密度の意識レベルから、全てが繋がりあい、大いなる全体の一部として個別化された我を生きる、自由と豊かさ、ワンネスと愛に基づいた高振動低密度の意識レベルへの移行であると感じています。

実のところそれは待ったなしでどんどん進行しているのです。
今は、その移行を望む存在たちと、望まない存在たちの極性の分化が加速化している最中です。

なぜ加速化しているかというと、地球は今、太陽系ごとプラズマベルトという、天の川銀河の中心から放たれる高周波の波を受けた、宇宙の塵や星間物質が多く含まれている領域に突入してしまったからです。
 これによって、太陽が励起され、太陽系や太陽系外からの宇宙線がより地球に降り注がれるに従い、地球の核も励起され、活性化しているのです。
その表れの一つが昨今みられる、海水温の上昇であり、世界各地で起こっている自然災害の増加です。
 現象だけ見るとたしかに大変ではあるのですが、見方を変えると、二万六千年にわたる歳差運動の大きな転換点でもあり、私たちはそれらが意味する、内奥のメッセージに耳を傾けなければなりません。

 つまり、私たちヒトも脳波や心電図のとれる電磁気体―充電された水で来ている振動体の存在である以上、地球の子どもたちである私たちは、お母さん(地球)のウェイクアップコールにこたえ、人間という種が放つ振動レベルを、ステージアップさせなくてはならないということです。
人間以外の動植鉱物は、皆それに気が付き、準備を進めています。
さもなければ、数ある絶滅種の一つとして、この地球から姿を消してしまう可能性だってあるのではないでしょうか。
もう人や国同士が争ったり、環境を汚したりして、我欲を増大させている時ではないのです。この星に住む同じ人間として、拡大された自己の意識で自由に生きる、マインドシフトの時を迎えているのだと思います。
 あとは私たちヒトがその目覚ましコールに応え、実行できるかどうかの瀬戸際だと感じています。

 自分を力なきものとみなして、自己の可能性領域を狭めている時代ではありません。
 犠牲者として、誰かの何かのせいにして生きるのではなく、創造者として、自己とすべてのことに自覚と責任を持って生きる、参加型宇宙の時代に入ったのです。
 それは、私たちという「いのち」の本源に沿って生き、誰もが尊びあい、分かち合うことのできる時空を創るということです。
具体的に言えば、物心ともに豊かさを分かち合う利他的社会を実現していこうということです。
これにはまず個人における意識のシフトが急務です。今までの競争原理ではなく、共創と共感によって生きる、思いやりと繋がりを大切にする生き方を選ぶのです。すると、おのずとその空気が家族へと伝わり、家庭がハッピーになります。また、何を食べるか、どこへいくか、何を買うかといった選択も徐々に変わってくるため、消費活動にも影響を及ぼします。
そうした家族、家庭は地域に影響を及ぼし、地域はやがて国家へ、そして世界、地球へと広がりながら有機的に繋がりあい、その結果、地球と人類は次のステージを迎えることになるのだろうと思います。

別な例えでいうとフランスの学者、T・シャルダンの云う、バイオスフィア(生物圏)、テクノスフィア(技術圏)を経た人類は、さらに高次の世界である振動場である、精神圏(ヌースフィア)の世界を築くのであろうということです。
母なる星―地球は、私たち人類の集合意識をここまで引き上げることを願っているのです。
では実際にはどうしたらよいのでしょう?
どこか、滝にでも打たれ、修業しないといけないのでしょうか?

いいえ、実は、たった今、出来ることがあるのです。
しかも、あっという間にらくらくと。

それが、自分とお金とのかかわりを再構築、再定義してしまうことだったのです。

 内なる叡智(直観)は数年に渡り、さまざまな場面を通して、「お金とは何かを見つめること」そして、お金とあなたとの関係を再構築すること」を示唆してくれました。
そうして私は、身体を壊したり、時には騙されたりと、色々な体験を積みながら、直観の導きにより気づきのレベルを深めてきました。
 そうして得た結論の一つは、

・私たちは豊かになるようにできている。
・物の豊かさと心の豊かさは比例する。

 という「事実」だったのです。

 ただし、この「真理」がわかるには、恐れや不安、恐怖、疑いといった、宇宙が本来持っている流れをせき止める、低振動の波を突破しなければ体感しづらいこともわかりました。

 特にお金の問題に関しては、急にシビアになって、わかってはいるけれど実際は無理とか、そんなの理想に過ぎないとか、ただのスピリチュアルなたわ言として、「現実は甘くない」と一笑に付されることが多いものです。
けれども、あえて言上げするならば、「現実は甘くない」と規定する信念体系そのものが、甘くない現実の量子場(潜在的可能性のエネルギーフィールド)をわざわざ選び取り、その馴染みのあるニューロネットの接続を通して、同じ可能性領域と接続し、結果として「ハッピーではない(甘くない)現実」を“予測通り”創造しているようにみえてなりません。
脳内では、イメージしたものと現実との区別があまりつかないようですから、最初から、同じ化学物質(感情の分子)を放出させ、同じ部位のニューロネットを発火させる、固定化された「現実」を加速させるのはいかがなものでしょうか?

 そこで、私たちが最も真剣勝負になれる「お金」というエネルギーと真正面から向かい合うことによって、人の生きる根源を見つめ、脳内の新たなるニューロネットにも接続できる、本来の豊かさと無限性にアクセスしたいと思ったのが本書を書く意義です。
 そのため、お金を語った本でありながら、直観との対話である、現実認識の方法や量子ポテンシャルと日本語との関係性など、一見、お金とは無関係に思える要素も多分に盛り込まれていることをご容赦下さい。

 尚、私自身は決して、この本に書かれている内容を信じてほしいとか、そうすべきであるとは思っておりません。お願いしたいことは、本書にご縁のあったお一人おひとりの己の内側にしっかりと向かい合い、寄り添いながら、心の眼を通して感じ、識別していただければ幸いです。

 長いまえがきになってしまいましたが、本書の結論につながるキーワードを一つ、お伝えしておきましょう。

お金とは、つまるところ、あなたのいのちそのものです。

 お金とあなたとの関係性は、あなたのいのちをどう表し、使いたいのかという、いのちの報告書なのです。

 チェンジ・マネー。
 今、ここ、時満ちて、お金の定義が変わります。